Kenta Adachi

Jul 20, 20186 min

リーダーに必要な「知・情・意」

Updated: Jun 16, 2021

先日、こちらの本を読んで、なるほど確かにと、きれいにストンと腹落ちしたことがありました。

『人の気持ちがわかるリーダーになるための教室』(大岸良恵 著、プレジデント社)

ストンと来た一文がこちらです。

『文豪、夏目漱石が「精神作用には、知・情・意の三つがある」と書いていますが、人がついてこない理由の一つはリーダーにこの「知・情・意」のバランスがとれていないからでしょう。』

ここで言われている「知」とは、知識や知恵になります。私はそれをさらに拡張して、技術や腕力といったような、訓練をすることで獲得することができる外装的なスキル、として捉えています。

そして「情」とは、「他人の気持ちをわかろうとすること」と書かれています。単なるやさしさや同情といったものではない点が、ポイントです。これは、訓練というより心の持ちようであり、内面的な要素が強いものでしょう。

最後に「意」は、意志や意欲であり、つまるところ「自分そのものの理解と、その表明」とされています。これも、訓練というより行動原理あるいは態度であり、内面的な要素を強く感じます。

つまり、人がついてくるリーダーであろうとするなら、「外装的なスキルだけではなく(それも重要ですが)、他人の気持ちをわかろうとする心と、自分そのものの理解そしてそれを表明する態度が必要である」と、言っているのです。

これに、ストンと気持ちよく腹落ちしたのでした。

ベンチャーキャピタリストとして、日々、多くの起業家と会います。その中で、直感的に「あ、この起業家いけそう」とか「この起業家は、ちょっと難しいかもしれない」という印象を抱くことがありますが、その直感の構成要素を、端的に表現してくれた言葉であると、思ったからです。

やはり成功する起業家は、人がついてくるリーダーであることが多いと思います。そして、先述の直感は「この起業家に人はついてくるだろうか」という判断からもたらされている部分が大きいのではないか、ということを、上記の一文は教えてくれたからです。

ものすごい経歴を持っていて、ものすごい知識や技術力をもっていて、その分野では右に出るものがいない、という天才科学者がいるとします。その天才科学者は、ここで言われている「知」が非常に秀でている、ということです。

そして、その天才科学者が、自分の研究成果を活用して起業したとします。誰も追随できない成果を引っさげての、圧倒的な「知」を活かした起業です。そして、その研究成果を求めている人がたくさんいるとします。

ここまで聞くと、事業として、成功しそうに聞こえます。

しかし、もしその天才科学者に「情」が備わっていないとしたらどうでしょうか。チームメンバー、お客さん、家族や多くの関係者のことをわかろうとしないタイプだったら、どうでしょうか。

あまり多くの人は、ついてこないのではないでしょうか。あるいは、その天才科学者のまわりの人は、少なくとも潜在能力の限りを発揮できるような高いモチベーションが保たれた状態には、なりにくいのではないでしょうか。これだと、事業としては、大きなインパクトを残すものには、なりにくそうです。どうしても、一人の力でできることは、限りがあるためです。

あるいは、もしその天才科学者に「意」が備わっていないとしたらどうでしょうか。「研究成果を活かして世界をよくしたいんだ!」とか、内から湧き上がる強い意志がなかったら、人はついてくるでしょうか。まわりの人は何を信じて、どこを目指してこの天才科学者についていけばよいか分からず、暖簾に腕押し、糠に釘のような状態になってしまいそうです。となるとやはり、事業としては、大きなインパクトを残すものには、なりにくそうです。

これらの点を、さらにズバリ表現していると思うのが、次のスタートアップ投資格言です。

『人をたくさん採ることができる起業家に投資をする』

恐らく、孫正義さんの言葉であったかと思いますが(ご存知の方、教えてください)、意味するところは、たくさんの人を雇用できるということは、まさに「情」や「意」が備わっている、ということなのではないでしょうか。他人を分かろうとする気持ちがなければ、なかなか採用はうまくいかないでしょうし、自分の意志を明確に示すことができなくても、やはりなかなか採用はうまくいかないと思います。そして確かに、長らく社員数が変わっていない、つまり人を採用できていない会社は、大きな事業の伸びを示していないように思います。

アカデミックな世界にも、同じような見解を示されている方がいます。

例えば、大数学者の岡潔さんが著書『日本のこころ』(日本図書センター社)で、こう述べておられます。

『人の中心が情緒にある』

これもまさに、人の「情」の面や、その理解につながる「意」の重要性を、端的に言い表しておられるのではないかと思います。

以上に述べたことは、もちろん、起業家に限ったことではありません。何らか「リーダー」というポジションに立つ、あるいは立とうとしている人、全てに当てはまることだと思います。

また、最近よく耳にする「AIは人間の仕事を奪うのか」という質問にも、この「知・情・意」は答えてくれる部分がありそうです。

AI(というか機械)は、まさに「知」の極みです。知識量や記憶力で、人間は機械に勝つことはどんどん難しくなっています。その中で、人として機械に真っ向から「知」だけで戦うことは、かなり苦戦を強いられそうです。よって、そういった仕事は、機械が担っていくでしょう。一方、機械はまだまだ「情」や「意」の観点では、人には適いません。ただ「意」については、プログラム次第では、それっぽいものを発現させることもできるかもしれません。しかし「情」つまり「他人の気持ちをわかろうとすること」については、機械には難しいでしょう。なぜなら、人として、他人の立場に立ち、他人の目線で物事をとらえようとする姿勢や経験がないと、本当の意味で「他人の気持ちをわかる」という状況にならないためです。これこそ、人として磨くべきポイントの一つではないでしょうか。

『プラットフォームの経済学~機械は人と企業の未来をどう変える?~』(アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン著、日経BP社)でも、こういった記述が印象的です。

『人々が次に望んでいることを理解するためには、そのことが人間にとって何を意味するのかを深く考え、それを想像の中で人間の感覚と感情でもって体験しなければならない。それができるのは、いまのところ、そしてかなり遠い先まで、人間だけではないかと思われる。』

上記では、「情」の大切さがとかれています。かつ、それをできるのは当面の間、人だけだろう、ということです。

私自身、ベンチャーキャピタリストとして、そして陸上教室のコーチとして、「知」だけではなく、「情」や「意」をしっかり備えていかなければ、と、決意を新たにしました。

そんな素晴らしい機会を与えてくれた書籍『人の気持ちがわかるリーダーになるための教室』に、深く感謝いたします。